むかしむかし、1970年の日本は、米の海に揺れる国だった。北の雪国から南の島々まで、水田は緑の宝石のように輝き、農民たちは米を育て、家族の笑顔を守っていた。だが、時代は変わり、都市の食卓にはパンや麺が並び、米の消費は減っていった。米が倉に溢れ、価格が落ち、農民の心は重くなった。都の議員たちは「減反政策」を掲げ、農民に米を減らし、麦や野菜に転作するよう命じた。補助金の現金が農民に渡り、米の洪水は抑えられた。この物語は2018年に終わりを告げ、農民たちは自由に米を育てる時代を迎えた。だが、物語はそこで終わらず、新たな試練が日本を待ち受けていた。

減反政策の補助金は、2018年まで農民の支えだった。国は「水田活用の直接支払交付金」や「産地交付金」を通じ、転作や休耕に励む農民に現金を配った。金額は地域や作物により異なり、例えば、2016年には転作農家に1ヘクタールあたり最大10万5000円が支払われた。飼料用米や米粉用米にはさらに上乗せされ、2013年には飼料用米で1ヘクタールあたり11万7000円もの補助金が。国は年間2000億円、累計7兆円もの税金を投じ、農民の暮らしを支えた。2018年の減反廃止後も、転作支援は続き、輸出用米には1ヘクタールあたり4万円が支払われた。だが、この補助金の物語は、米の自由な時代に新たな波乱を予感させた。
時は流れ、2025年の日本。米の物語は再び嵐に巻き込まれた。米の価格が天を突くように高騰し、国民の食卓を脅かした。スーパーでは、5キロの「コシヒカリ」が5000円に迫り、2024年4月には前年比98.4%も跳ね上がった。なぜ、こんな事態に陥ったのか? その理由は、まるで嵐の波のように重なり合った。
一つ目の波は、2023年の猛暑だった。記録的な暑さが田んぼを焼き、米の収穫は大きく減った。農林水産省のデータによれば、米の在庫は2024年6月時点で153万トンと、昨年より40万トンも減り、過去最低を記録。二つ目の波は、観光客の急増だ。コロナ禍が明け、円安が日本を魅力的な旅先に変えた。観光客が米を食べ尽くし、需要が急増した。三つ目の波は、流通の混乱だ。日本農業協同組合(JA)は米の確保に苦しみ、2025年1月末時点で集荷量は23万トン減、在庫は48万トン減。農民がJA以外の卸売業者や直接販売に米を流し、JAの在庫が枯渇した。四つ目の波は、買い占めとパニックだ。台風や地震の警報が国民を駆り立て、米の棚は空っぽに。店舗は1家族1袋の制限を設けたが、価格は止まらなかった。最後に、構造的な問題だ。減反政策の遺産である高米価政策と、平均69歳の農民の高齢化、農家人口の半減(2024年で110万人)が、米の供給力を弱めた。輸入米は341円/kgの関税で高く、国民は国産米に頼らざるを得なかった。
この嵐の中、都に新たな使者が現れた。新農林水産大臣、小泉進次郎だ。2025年5月、国民の叫びに耳を傾けた小泉は、国の備蓄米を救いの舟として差し出す決断をした。「5キロ2000円で、6月初旬に店頭に並べる!」と宣言。従来の競争入札では高値で落札され、米が国民の手元に届かなかった。2025年3月から放出した30万トンの備蓄米のうち、4月末時点で小売に届いたのはわずか7%。小泉はこれを改め、直接契約で小売に米を流し、運送費も国が負担。300万トンの備蓄米をさらに放出し、国民の食卓に安価な米を届ける策を講じた。5月26日、農林水産省は「この米は古米かもしれないが、国民の不安を解く」と誓った。しかし、農民たちは困惑した。「2000円は安すぎる。適正価格ではない」と嘆き、備蓄米の在庫が尽きれば価格は再び跳ね上がると恐れた。
2025年の今、日本の水田は試練の只中にある。米価の高騰は、気候、観光、流通、過去の政策の影が絡み合った嵐だ。小泉の備蓄米2000円の策は、国民に一時の安堵をもたらすが、農民の未来と食の安全はまだ霧の中。農民たちは自由な田んぼで、希望の米を育て続ける。この物語は、終わりなき挑戦の物語なのだ。